セイント・ビースト 聖獣封印〜Four Angel〜
祈る振りを続けながらゴウは、シンは、レイは、ガイは七昼夜という時間を、ゼウス追放の秘策案出に費やす。
再生の祈りが四聖獣の動きを封じるために発案された典礼なら、聖者も大神も四人が獣神具の魔から解放されていると知っていることになる。
今後は見透かされているのを承知で神の御前に膝をつき、忠誠の言葉を口にしなければならないのか。一方、聖者やゼウスも騙された振りで応じるのだろうか。
化かし合いをいつまで続けなければならないのだろう。本懐を遂げるためとはいえ、不毛な回り道をどれほど繰り返さねばならないのか。
黙祷は、四聖獣にかつてない迷いを生じさせていた。
正しいと信じて突き進んでいるのに、本当にこれでいいのか。ゼウスを追放すればすべてが終わるのか。輝ける未来は果たして訪れるのか。
迷いが生じるのは不安に苛まれているからだ。
四人の天使は懸命に雑念を振り払う。
ゴウは、聖者との真の和解が正道を導く鍵だと思っていた。
いにしえの恩は、今もゴウの胸奥に熱く刻まれている。聖者がいなければ、ゴウは天の教えに倣い処刑される身だったのだ。
聖者によって救われたゴウは、たとえ六聖獣を引き裂いたのが彼自身であったとしても憎むことができなかった。
きっと拠ん所ない事情があったのだと信じたい。そのわけを聞き、自身の進路を見いださぬ限りどこにも行けず、また前にも進めない。
焦れるように、ゴウはときが過ぎてゆくのを待っていた。
シンを動かしているのはひとえに怨念であった。
光の天使――ユダとの別離によって、己を責め悔恨を募らせるシンは、聖者とゼウスへの憎悪を倍加させた。
六人が意志をひとつにして闘い敗れたのなら、たとえ絶命したとしても悔いはなかっただろう。
だが、聖者の奸計に陥れられユダとの敵対関係を余儀なくされてしまったのだ。その先に想像し得ぬ別れが待っていた。
一刻も早く朗報を持ち、光の天使との再会を果たしたい。
朗報とはむろんゼウス討伐だ。そのためにはなにをするのも厭わない。だが、シンは自分自身に疑念を抱くときがある。
本来の目的だった世界の平安。故にゼウスは追放されるべきだという信念は、光の天使との再びの逢瀬を叶えるための道具に過ぎなくなっているのではないか。
いいや、そんなはずはない。
シンは強く瞼を閉じ、胸に巣くう焦燥と闘った。
レイの眼裏には、彼の天使の大羽根が光を受けてキラキラと輝いていた。天使は振り向き、優しく微笑んだ。
ルカ―――。
心の中で、愛しき天使の名を呼ぶ。彼には、憧憬と羨望と親愛をいつも抱いていた。
その思いは離れ離れになってしまえば、いっそう強くレイの中に湧き起こる。
意を決したにもかかわらず叶えられなかった念願。新たに誓う再出発だが、今宵のような千載一遇の好機はそうそう訪れないだろう。
ならば、やはりシヴァの額に記された刻印を除去し、失われた記憶を蘇らせることが大神の弱味を握る足がかりにもなるはずだ。
ルカの額に刻まれていたものと寸分違わぬ刻印だけに、レイの執着は深まる。
両の手を胸元で強く組み合わせ、ひたすら典礼の終了を待つ。
ガイは一縷の希望を見いだしていた。
女神が先日のガイとの謁見を伏せたからだ。大神の信頼を得たからこそ大神殿に住まう四聖獣である。隠す必要はどこにもない。
それをあえて隠したというのは、ガイのサインを受け止めたからではないのだろうか。たとえ女神の本心が違うところにあるのだとしても今はそう信じていたい。
再生の祈りが終了すれば、新たな途が広がるかもしれず、ガイの胸は自然と高鳴る。
ゼウスを追放しなければ、世界に真の平安は訪れない。それは六聖獣の辿り着いた答えだったが、女神なら別の可能性を示唆してくれるかもしれない。
祈りの姿勢を保ちながら、ガイは心優しきヘラへの期待を強めていた。
そうして―――――――。
七度の昼と夜が巡り、再生の祈りは終熄を迎えた。
完全回復を果たした最高神からは御言が宣われ、神の神たる尊厳はいっそう強固になった。
感銘を受ける天使たちは神を絶対的な存在と信じて疑わず、果たして“再生の祈り”という聖者の計らいは見事功を奏したのであった。
天の風向きは四聖獣の望まぬほうへ、確実に吹き及んでいた。
参集した天使全員が退散したのを見届けたのち、四聖獣はようやく閨門をあとにする。
無言で渡り廊下を進みながら、それぞれの胸中には果たさねばならない目的が渦巻いていた。
ゼウス追放を見送った四聖獣は、未遂のままになっている目的を達成に向けてふたたび動き出そうとしていた。
正殿に入り西日の差し染める柱廊を抜けようとしたとき、柱の脇に神官長パンドラと配下の神官ふたりの姿が見えた。
「で、どうだった?」
「我々の担当区域にはシヴァも、シヴァらしき者もいませんでした」
「そうか……」
神官の報告にパンドラはかなり深刻な面持ちだったが、四聖獣の存在に気付くやいなやなんでもないふうを取り繕った。
「ごきげんよう。閨門での七昼夜、お疲れ様でした」
パンドラは軽く頭を垂れ、神官たちに立ち去るよう目配せをした。
「おまえもな。大勢の天使たちの誘導やらで大変だっただろう」
「いいえ。わたしにとってゼウスさまへの献身は至福ですので、むしろ満足しています」
ゴウの労いを、パンドラは逆手に取る。神に心身を捧げる神官長は、取って付けたような忠誠心を掲げて神殿入りした四聖獣を快く思っていなかった。
「ゼウスさまは非常に健勝であらせられます。早々にご挨拶をされてはいかがですか?」
「むろんそのつもりですが、今シヴァがどうの……と話してませんでしたか?」
額の刻印を気に懸けるレイは、小走りで去っていく神官たちの後ろ姿を一瞥する。
「貴方たちには関係のない……」
素っ気なく言いかけたパンドラは、しかし急に態度を変えてきた。
「失礼しました。再生の祈りもすんだことですし、お知らせしておいた方がいいですね」
「なにかあったんですか?」
「実はシヴァが行方知れずで、困ってるんです。問題事も起きているし……。どこにいるかご存じではありませんか?」
「言われてみればわたしも最近シヴァの顔を見ていませんね」
シヴァは光の天使を敬愛しており、シンは常に妬みの対象だった。そのせいか言動も喧嘩腰であまりいい印象は残っていない。だが姿が見えないと言われれば気にもなる。
最後に会ったのはいつだったか思い出そうとするシンだが、記憶に留めてはいなかった。
「神殿の外にもいないのか?」
「再生の祈りがすんだばかりですので、神殿内を捜すのが精一杯です。むろん明日はサキたちにも命じて天界中を探索する予定ですけどね」
「でも、何故そこまで躍起になってシヴァを追ってるんだ?」
ガイは首を傾げた。シヴァはいつも蚊帳の外にいて、誰かに必要とされることもない。そんな天使の居所を総出で捜すのはひどく奇妙だった。
「重罪の嫌疑がかけられているからですよ」
パンドラの双眸が鈍い光を放つ。
「存じていますよね。生誕の儀が行われている最中、誰かが地下牢の囚人たちを脱獄させたというのは……」
シヴァはいつも厄介者扱いされ、誰もが嫌っていたが心は穢れていない。そしてゼウスへの忠誠も捨てていない。真犯人はほかにいる。パンドラの疑念はひとえに四聖獣へと向けられていた。
「まさかそんな! 知らなかった」
「脱獄だなんて」
「信じられません」
「見張りはいなかったんですか?」
四聖獣は口々に驚いて見せる。
再生の祈りによって大儀を成し遂げられなかった四人は、自らの所業を認めることができなかった。ゼウスに忠義を尽くす芝居を続けなければならないからだ。
シヴァに罪を着せる気は毛頭無いが、結果的にそうせざるを得ない状況が四人の良心を切り刻む。
四聖獣はパンドラの食い入るような眼差しを正面から受け止め、つき慣れぬ嘘をつき通すしかなかった。
(本文P38〜45より抜粋)