セイント・ビースト 暗闇の天使たち〜Two Hell〜
湿り気を帯びた薄闇の中で、シンはひとり同志たちの訪れを待っていた。
孤独の世界に身を置くと、心の痛みがいっそう膨れ上がる。
張り裂けるように、狂おしく、軋む………。
あってはならない過ちを犯し、それゆえ敗北を余儀なくされた闘い。固く結ばれていたのはずの絆は、呆気なく解けてしまった。ただひとつの奇禍によって。
それでも、光の天使は最後の一瞬まで愛と信念を捨てなかった。シンの傷を癒し、シンの手に折りたたんだ紙片を握らせ無念を託してきたのだ。
あのとき。何故シンがあの場所にいたのかさえ知らずに。
―――敵軍根拠地、祈りの館を焼き払え。
聖者にそう命じられ、火が放たれたところに風を送ったのがシンだった。
疾風を起こし、炎を煽って火の手の回りを早めたのである。
館に残っていた天使は少なかったとのちに知らされ、せめてもの救いにはなったが、それでも犠牲者を生んだことに変わりはない。
根拠地の壊滅によって気落ちした天使たちが戦闘意欲を失ったのは言うまでもなく、同胞たちは破滅への途を進んでいった。
勝利の可能性は充分にあったはずだ。それを打ち砕いたのは四聖獣………。
獣神具の魔に囚われ、別人格と成り果てたのだから。
ユダが残していったこの紙片は古文書の一ページを破り取ったものだった。
ここに獣神具のからくりがすべて記されており、眼にしたゴウやレイ、ガイは言葉を失っていた。
ユダがどこからこのページを入手したかは不明だが、彼が真相を知ったときの衝撃を想像するだけで胸奥が締め付けられてしまう。
罪を負うべきはユダとルカではない。四聖獣こそが悪だった。
シンは数え切れないほど己をせめ続け、業火に心身を焼かれ、それでもこうして生きている。天使として。
この懊悩から逃れられる日が来るとしたら、それはユダから引き継いだ悲願――ゼウスの追放――を成し遂げ、その報告を彼にするときだ。
そのときが訪れるまで、心は闇をうつろうだろう。
「遅くなりました……」
ほどしてレイが現れた。その直後にガイも。
ゴウが到着したのは、さらに半時ほどのちだった。
「随分と遅れてしまった。すまない」
来る途中でサキと会い、振り切るのに時間を要したとゴウは苦笑する。
「こうして秘密裏に落ち合うというのも、想像以上に大変ですね。周囲に悟られないよう配慮しながら、この隠れ家までくるのですから。それも四人別々に……」
レイはもともとがナイーブなだけに、疲弊も相当のようだった。
「ああ。気を遣うよな。けど、ここさえ発見されなければまだ救われる。オレたちが、本当のオレたちに戻れるたったひとつのところなんだしさ」
その上作戦会議もできる……と、ガイは茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
隠れ家は丘陵地帯の中ほどにある小さな洞窟だ。斜面には毒草が生い茂っており、天界の住人たちはよほどのことがない限りこの一帯には近付かない。
洞窟の入り口も毒草が蓋のように覆い隠しているから、たまたま通り過ぎた天使がいたとしても気付きはしないだろう。
誰にも知られていない洞窟を隠れ家にして、四聖獣は秘めやかに集結する。
大神を討ち取るその日まで、別人格になりすますのが四人の使命でもあるからだ。
獣神具の魔は四種が対で揃ったとき、持ち主の愛憎を真逆にしてしまうという。古文書の一ページにはっきりとそう記載されていた。
故に、四人は同志と決裂し、憎むべきゼウスにひれ伏してしまったのだ。
魔から解放されたのちは、愛憎が入れ替わった芝居をひたすら続けている。四聖獣は互いに不仲を装い、神官たちとは好意的に接していた。
けれども、好きと嫌いが逆になった振りというのは容易ではなく、神経を磨り減らす。
だからこそ緊張の糸を緩め、互いの意思確認をし合える場所は、何物にも代え難い空間だ。
四人は状況が許す限りここへやって来ては、ゼウス追放の計画を練っていた。
「おれたちはかけがえのない同志を失った。もう失敗は許されない」
背水の陣で臨まねばならないと、ゴウは拳を力いっぱい握り込む。
「ゼウスの追放もですが、仲間たちも助けたいです」
レイは処刑場で見た光景に胸を痛めていた。
「サキの部隊が連日のように捕らえているとは思わなかった……」
シンは面差しを険しくする。
四人揃って大神殿に迎えられた昨日。おそらくは四聖獣の心向きを確かめるのが目的だったのだろう。大神と聖者に連れられ、敗残者たちの処刑を見学させられた。
眼を背けずにはいられないほど残虐な光景は、今も眼裏に焼き付いて離れない。中には四聖獣の姿に気付き、゛おまえらのせいだ”と罵ってくる者もいた。
ひれ伏して謝りたいほど身につまされても、聖者の前ならば、愚か者を見下す振る舞いをしなければならず、胸の痛みはいや増すばかりだった。
「彼等をなんとしても助けなければ。もしもここにユダがいたら、きっと同じことを言うと思います」
自らの失態で最愛の同志を失ったシンの悲しみは、苦痛と同義だった。
「どうにか救い出せないものだろうか」
伏し目がちにゴウは呟く。
「彼等は地下牢に投獄されているようです。ただ、神官たちが交替で見張っていますし、迂闊な行動は取れません。入念な計画を立てる必要があります」
「いっそ、ゼウスを先に討ち取ってしまうほうがいいかもしれませんね」
真剣に悩むレイに、意外にも無謀な提案をしたのはシンであった。
本人は真剣そのものだが、冷静沈着な天使とは思えぬ発言に、三人はひどく驚いた。
「神の側にぼくたちの忠誠心を信じ込ませ油断したところを討ち取る、とみんなで決めじゃないですか。今になって無茶を言わないで下さい」
レイは困ったように窘めた。
「でも、彼等の救出に失敗したら、ゼウスの討ち取りも水泡に帰してしてしまいます。かといって計画に時間をかければ、助け出す前に処刑されてしまう。だから早々に討ち取ったほうがいいと言ったんです」
「………わからなくもないですが、どうすればゼウスに勝てるのでしょう。ぼくたちは神々の強さを目の当たりにしたわけですし、ユダとルカを失った今、どこに勝機があるのかわかりません……」
溜息をつくレイをシンは睨み付けた。
「やつらが油断したときが勝機だと一旦は立てた計画です。なのに、どこにも勝機がないだなんて……。貴方の発言は矛盾しています。もしや闘いたくないのではありませんか? 別人格になった振りをしているのは単なる時間稼ぎですか? だったら……」
「待て! 言い過ぎだ」
ゴウは強固に遮った。
ユダを失ってからというもの、シンは冷静さを欠くようになった。
以前なら穏やかに結ぶ話も、最近は言葉の端々がきつく刺々しい。
「すみませんでした。つい昂奮してしまって……」
自分でもわかっていた。だが、感情の抑えが効かなくなってしまうのだ。それをどうすることもできず、余計苛ついてもしまう。
シンは素直に頭を下げた。
「ぼくも言い方が悪かったです。打倒ゼウスの信念は潰えてなどいませんが、ルカとユダをなくしたショックがあまりに大きくて……。だからつい、四人でなにができるのだろうかと悲観的になってしまって……」
項垂れるレイの肩を、ゴウは引き寄せた。
「おまえの気持ち、わかるよ。おれにも不安はあるからな……。おそらく謀反を決意したときのユダたちも、今の我々と同じだったのではないだろうか………。だが、彼等は決して後ろを向かなかった。その信念の強さにおれたちも希望を抱いた。違うか?」
「そうだよ。すっげー勇気湧いたぜ。もうユダとルカはいないけど、ふたりの意志はオレたちの中にあるだろ。四人でも六人で闘うのと同じことさ」
ガイは明るく笑う。彼の無類の陽気さは、見方を変えれば己の弱さを懸命に克服しようとしているふうにも感じられた。
もっと強くならなければ……。シンはガイから大切なものをもらった気がした。
(本文p78~86より抜粋)