セイント・ビースト
喪失〜FALLEN〜
著者 | 有栖川ケイ |
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イラスト | あさぎ桜 |
ISBN | 978-4-86134-287-5 |
価格 | 本体価格629円+税 |
発売日 | 2008年8月9日 |
天使たちの闘い、その決着は——
ついに大神ゼウスとの全面対決を決意した六聖獣。その一方、地上ではパンドラによって開け放たれた「希望の箱」のせいで暴動が起こりはじめ、天界でもゼウスが不審な動きを見せていた。そこで、六聖獣は天界と地上の二手に分かれて行動を開始するが——。それぞれの信念を胸に、天使たちの最後の戦いが始まる。『いにしえの天界編』ついにクライマックス!!
セイント・ビースト 喪失〜FALLEN〜
天界に住まう半数強の天使たちが、六聖獣と運命を共にする。
彼等の嘆願はまさに六聖獣の悲願と同義であり、これ以上の味方はいない。
六聖獣のみが神を疎んじているという意識のもとに突き進んできたが、歪んだ支配はやはり大勢の天使たちにも疑問を抱かせていた。
共に闘うことが良いのか悪いのか。その原点に囚われれば、もはや前進できなくなってしまう。その上で、慎重に考えなければならないのは導き方だ。犠牲は最小限に留めたい。むろん、ゼウスによって強制的に前線へと出なければならなくなった天使たちも含めて。
ひとまずルウとカイたちには、ユダ宅から最も近い“祈りの館”を根拠地として準備を整えるよう指示を出した。
日頃は天使たちの交流場となっている大きな建物で地下室もある。その最下階には牢が備えられており、捕らえた神官たちもここへ護送した。庭も広大で天幕も張れる。味方の天使たち全員の収容も可能だ。
ここを拠点として待機させ、六聖獣からの指示のもと活動してもらうのがいいだろう。
だがひとつ問題が発生した。彼等を放って、六聖獣全員では下界へ赴けないということだ。こうなった以上は誰かが天界へ残らねばならない。
天と地と、二手に分かれるのはこの時期不安を伴うが、逆に六聖獣が揃って降臨してしまったら、彼等には不安どころか危険が生じる恐れもある。
どうすればいいか。長としての決断を、ユダは下さねばならなかった。
夜も更けて。六聖獣は円卓を囲んだ。
「わかっていると思うが、全員で降臨できなくなった」
ユダはひとりひとりと順番に眼線を合わせていく。ふた組に分かれる以外に方法があるのかどうか、同志たちの見解を待つ。
消極的に口火を切ったのはシンだった。
「………降臨はしなければならないのでしょうか」
「ん? シンらしくねー質問だな。なにか引っかかることでもあんのか?」
テーブルに頬杖をついたガイは、身体ごとシンのほうを向く。
「いえ……、そういうわけではないんですが……、地上の、とりわけ動物たちの平安を守るのが、わたしたちの使命だというのはわかっています。女神の鏡の破片にも、殺伐とした光景が映し出されていましたし。ですが、今離ればなれになるのは、わたしたちにとってマイナスではないでしょうか?」
「ぼくも同じ気持ちです。こうした時期だからこそ、一緒に行動したほうがいいのではありませんか?」
レイは、間髪を容れず同調した。
「……シンやレイの不安もわかる。だが、下界をこのままにはしておけない。一刻も早く彼等の心に安らぎを与えてやりたいんだ」
「でも……」
ユダの説得にも、シンは素直に応じられないでいる。慎重な天使だけに憂慮も大きいのだろう。
だが、降臨は今でなければならないと判断するユダも、引くわけにはいかなかった。
「おれたちは六聖獣として、これまでなにをしてきたのだろう。ゼウスの命で何度か降臨し人を救ったこともあったが、ただそれだけだ。だから今こそ、世界中に生息する動物たちの支えになってやらなければ……」
「だよな。下界で暮らすやつらからすれば、ずっと役立たずだったオレたちだもん。こんなときくらい、なんとかしてやりたいよ」
ガイは動物たちにひどく同情的だった。その裏にはネコたちを死なせてしまった負い目があるのだろうか。力強くユダを支持する。
「おまえにしてはまともだな。おれもまったく同じ気持ちだよ」
ゴウは顔を綻ばせ、ガイの頭をちょんと突いた。
「だってさ、もしここで動物たちをないがしろにしたら、あとで苦しむのはオレたち自身だぜ」
「それはぼくにだってわかります。でも……」
レイは先ほどから黙したままのルカを横目で見やった。その視線を感じたからなのかどうか、ようやくルカが口を開く。
「全員でこうしていられるのが一番なのは皆承知しているさ。だが、果たさねばならない使命だからこそ、逆に我々の事情を優先できない。そういうことじゃないのかな」
「希望の箱が開かれる以前には戻せないが、ほんのわずかでも地上のものたちに安らぎを与えられれば、どんなにいいか」
言いながらユダは自分自身を責めていた。脳裡にパンドラが箱を開いているさまが浮かび、ぐっと奥歯を噛み締める。
「せめて悪化を食い止められれば、それだけでも彼等は楽になれると思う」
ルカは指先でテーブルをトン、と叩いた。束の間の沈黙が流れ、そして。
「申し訳ありませんでした。水を差すようなことを言って……」
シンが気持ちを切り替え、続いてレイも。
「ひと月前のときのように離ればなれになるのはいやだと、そればかり考えていました。でも、ルカの言うように、こんなときだからこそ自分たちの都合を優先してはいけないんですよね。納得しました」
「離ればなれと言っても、ほんの一昼夜だ」
ルカの優しいフォローを、レイは恥ずかしそうに受け止めた。
「そうと決まれば、くじ引きの用意だな」
ガイはとても嬉しそうで、くじに使えそうなものはないか室内を物色し始める。
「待ってくれ。………その前におれの提案を聞いてくれないか」
神妙な面持ちでゴウは腕組みをした。
「これからの闘いでできる限り犠牲を少なくするために、おれたちはどうすればいいかさっきから考えていた。で……、獣神具だ」
ゴウは腰を上げると瞼を閉じ、対の青龍剣を念じ出した。左右の手に握られたそれを、そっとテーブルの上に置く。
「威力については今さら語るべくもないだろう。この力が四倍になればどうなるか。一気に戦争を終結させられるのではないだろうか」
獣神具については、これまでも気に懸けていた。だが、結果的に入手は困難であり、諦めざるを得なかったのだ。だがあのときとは事情が違うとゴウは主張する。
「おれたちには共に参戦する大勢の仲間がいる。彼等を守るためにも、ゼウスによって強制的に兵士にされた天使との無駄な争いを回避するためにも、おれたちは強くなければならない」
ゴウはぐっと拳に力を込める。
「それにイサドラたちが戻らないとなれば、代わりの神官がおれたちの動向を調べに来るだろう。そうなればこちらの手の内も知られてしまう。もはや獣神具奪取どころではない」
「要するに時間がない……と言うことだな」
ユダは、ゴウの意図を察した。
「そうだ。事態は急を要する」
「獣神具を入手するために使える時間はごく僅かしかない……か。となれば下界へはおれとルカが行き、残る四人で獣神具の在処を探る、という解釈でいいのかな?」
ゴウは首肯し、シン、レイ、ガイは難色を示した。
「無理です。一昼夜で下界へ降り目的を果たして戻ることは可能でも、その間に獣神具を手に入れるなど到底不可能ではありませんか? 仮に発見できたとしても、獣神具本来の形をしているとは限らない。封印が為されていたら、それを解くだけでも一手間掛かります」
シンは反対の理由を理論的に述べる。極めて真っ当だが、それは承知だとばかりにゴウは食い下がる。
「だが、可能性に賭けたいんだ。仮にだめでもなにもしないよりはいい」
「その可能性も追求して、難しいという結論に至ったと記憶してますが……」
時折、無茶を言うゴウ自身をレイは心配していた。
「一応宝物殿にあるかも……って予測は立ててるけど、実際どこにあるかもわからないし、やっぱ時間が足りないよなぁ」
「たとえばだが、ルウたちに頼んでみるのはどうだろう。彼等なら神殿へ入り込むのはたやすい。この時期なら宝物殿の守りも手薄になっているはずだし、決して無謀ではないと思う」
獣神具を対で持つゴウは、どれほど強大なパワーかを唯一手応えとして知っている。だから執着もする。たとえ僅かでも望みがあるなら、どうにかして四種すべてを対にしたいと願ってしまうのだろう。
けれどもユダは首を縦には振らない。
「おれは反対だ。彼等に危険な真似はさせられない。おれたちだけで入手できないなら諦めるべきだ」
「だが、戦争を長引かせるくらいなら、今ここで多少の危険を冒しても獣神具を手に入れた方が彼等のためでもある。むろんおれたちも精一杯の援護をするつもりだ」
ゴウも譲らなかった。仲間の一致団結で事を運ぶというゴウの主義がときに仇となっているのだろうか。
ガイはテーブルの青龍剣に触れながら「どっちの意見も間違ってないよなぁー」と困り果てている。
「獣神具が対だと知ったのは偶然じゃないか。もともと必須だった訳じゃない。獣神具に頼らない戦い方を構築するほうが現実的だ」
六聖獣の束ねとして、延いては一軍を率いる将としてユダは押し切るつもりでいた。その威圧感にゴウも口を閉ざすしか無く、あたりは水を打ったように静まりかえった。
「そういえば……神殿には確か秘密の通路があったはずだ」
ルカの漏らした科白に、一同は息を呑む。
「クロノスさまが大神だったときのことだ。教わった覚えがある。忍んで外に出るとき使う隘路だと……」
出生に起因してか、ルカは幼年時代から神殿の出入りが自由だった。いつもあちこちを探索したり、先代女神のレアやゼウスからは内部の構造や仕組みを教えられたこともある。
「神ともなればむやみに外を歩けませんからね。急用のときなど正門を開かずに外出できる出入り口を設えておいたのでしょう」
シンは成程……、と納得していた。
「神殿奥から裏門の外に延びている地下道だ。そこを使えば誰にも気づかれず進入できるかもしれない。決して安全とは言えないが……」
ルカはさりげなくユダを一瞥し、意思確認を求めた。
「それならルウたちを巻き込むことなく実行できそうだな。イサドラたちの神官服を借りて変装すれば成功する可能性も高くなる……。だが、もしも宝物殿に残りの獣神具がなかったらそのときは……」
「わかっている。諦めるよ」
深追いをしすぎると火傷をするものだ。その辺の匙加減はゴウも承知していた。
ユダはひとまず急場が凌げ、ほっと胸を撫で下ろす。
「わたしは同行できないから、絵図を引こう」
「助かる」
「おう! 俄然、うまくいく気がしてきた」
好機が到来したかのようにガイも調子づく。
「もうっ、ガイったら。運良く獣神具を奪取できたとしても、封印されていたらそれを解かなければ、なんの意味もないんですよ」
「そうだけど、うまくいくときはとんとん拍子に進むモンだ。取り越し苦労はやめて、成功したときのことだけ考えようぜ」
ガイはいつものように場を賑やかす。
そんなガイを眺めながら、ユダは上に立つことの難しさをあらためて痛感していた。
失敗の可能性ばかりにこだわっていては意識が後ろ向きになってしまう。かといって、むやみに一縷の望みを賭けるわけにもいかない。
心をひとつにしていても、戦争の捉え方は天使によってまちまちだ。だが、陣頭指揮を執る以上、すべてがユダの判断に委ねられる。
間違った命令を下せば命取りにもなるだろう。大任を背負い、ユダは己の利で動いてはならないと自らに言い聞かせる。
合戦に向けて、すでに秒読みは始まっていた。
(本文p150~160より抜粋)