アルカナ・ファミリア
〜恋人たちと運命の輪〜
著者 | 渡海奈穂 原作・監修:HuneX |
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イラスト | さらちよみ |
ISBN | 978-4-86134-586-9 |
価格 | 本体価格590円+税 |
発売日 | 2012年10月26日(金) |
大切な人は私が守る——! フェリチータの選択は……?
組織のトップであるパーパを助けるため、【運命の輪】の力を使ったフェリチータ。だが力を使った後、倒れてしまう。すぐに目覚めたが、様子のおかしい彼女に、動揺するファミリーたち。フェリチータは力を使うことで、大きな代償を支払っていたのだ——。
ノベライズだけのオリジナルエンディング!!
イラストはもちろんさらちよみ先生の描き下ろし!
今回は口絵がピンナップ仕様☆
ミニドラマCD付き限定版と同時発売!
(C)HuneX
アルカナ・ファミリア 〜恋人たちと運命の輪〜
「お嬢様……」
唐突に泣き始めたフェリチータを見て、ルカは狼狽した。
部屋の隅のパーチで大人しくしていたはずのフクロータも、落ち着かない様子で羽をばたつかせている。
自室のベッドに横たわり、眠っていたはずが、目を開いたので声をかけた。水を飲みますか? と訊ねただけなのに、急に涙を零し始めたのだ。
何か失敗して、フェリチータを傷つけるようなことを言ってしまったのかと、慌てる。
だがフェリチータは悲しそうな顔をしていない。そう気づいて、ルカは彼女にかける言葉を失った。
フェリチータは表情を失ったまま、ただ涙だけを零し続けている。
それは悲しみや苦しみに泣き叫ぶ姿を見るよりも、ルカにとっては辛いことだった。
「……お嬢様……」
ルカにはただ、填めていた手袋の指でそっとその涙を拭ってやることしかできなかった。
しばらく見守っているうち、フェリチータは泣き止み、瞼を閉じた。眠たくなったのだろう。記憶を失って以来、フェリチータはよく眠る。おそらく記憶と共に気力も奪われているせいだと、ルカは見当をつけていた。
今フェリチータに必要なのは、多分休養だ。
(……また同じだけの時間をかけて、お嬢様自身を取り戻すしかない)
フェリチータとして生きた十三年間の経験は、彼女から奪われてしまった。
だがフェリチータはまだ生きている。ルカにとってはそれが唯一の希望だった。
彼女が三歳の時に出会った、あの場面からやり直しだ。
(お嬢様がお嬢様である限り、絶望する理由はない)
そう思うのに、それでも、やっぱりルカは悲しい。
ルカにとって、フェリチータと過ごした時間、交わした言葉のひとつひとつが、彼女を作る、自分と彼女、他の人たちとの関係を作る、大切な思い出だ。
彼女の感じていた幸福や、彼女を育てた悲しみや、それに打ち勝とうとした努力もすべてなくなってしまったと思えば、悲しくないわけがない。
フェリチータを起こさないようそっと溜息をついた時、大きな音でドアがノックされて、ルカは驚いて振り返った。
「は、はい?」
「俺だ。入るぞ」
「パーパ」
ルカは座っていた椅子から腰を上げる。フェリチータの私室に姿を見せたのはモンドだった。娘の容態が心配なのだろう、そう思って椅子を譲ろうと動きかけた途中で、モンドの後ろにもう一人の人物を認め、ルカは思わず目を瞠った。
「……ジョーリィまで……?」
ルカの知る限り、フェリチータがこうなって以来、ジョーリィが自発的に彼女の許に姿を見せることはなかった。廊下で擦れ違う時も、フェリチータを一顧だにしなかった彼だ。一体何の用事なのかと訝しくもなる。
ジョーリィはルカを一瞥しただけで何も言わず、モンドに続いてフェリチータの横たわるベッドへと近づいた。
「フェリチータの様子はどうだ?」
きつく眉を顰めてジョーリィを見遣っていたルカは、モンドに訊ねられて我に返った。
「は、はい。……まったく変わっていません」
フェリチータの寝顔を見下ろすモンドと同じ方へと、ルカも視線を向ける。
父親の来訪にも気づかず、フェリチータは目を閉じたままだ。
「私やスミレ様の呼び掛けにも答えず、眠るか、起きていてもぼんやりと座ったり、あてもなく歩き回るだけです。せめて力をつけてもらおうと、食事や薬湯を差し上げていますが、あまり口にもしないので……」
フェリチータが生きていればいいと、ルカは何度も自分に言い聞かせてきた。
(——でもこれでは、生きているのか死んでいるのかわからない)
数日前まで、フェリチータの瞳は力強い生命力に溢れていた。
言葉数は少ないが、感情豊かで、笑う時は愛らしかった。怒った時にすかさず出てくる蹴りの痛みまで、ルカにはもう懐かしい。
「……すみません、私はもう、こんな姿のお嬢様を見ているのが辛いです」
泣き言を言っても意味はない。それもジョーリィのいる前で口にするのは悔しい。
そう思っていても、ルカは心情を吐露せずにはいられなかった。
「何もできずに、ただお嬢様のそばで座っているしかないなんて……」
「俺もだ」
モンドがルカの背中に手を当てて、頷く。
「だから、元のフェリチータに戻すために来た」
「——!?」
続いたモンドの台詞に驚いて、ルカは伏せていた顔を上げた。
「そんなことができるのですか!?」
見遣ると、モンドはルカではなく、少し離れたところにいる男の方に視線を向けている。
ルカも同じように、ジョーリィへと目を向けた。
モンドの視線の意味に気づいて、ハッとする。
「まさか、ジョーリィ……」
方法も目的もわからない。
ただ、ジョーリィがフェリチータに対して何らかの行動を起こそうとしているのはわかった。
「待ってください!」
必死の声で、ルカはジョーリィではなくモンドを止める。ジョーリィはどうせ止まらない。モンドの言葉以外には従わない。それ以外、どうせ彼にとっては何の意味もないものだ。
「もし失敗したらどうなるのですか!?」
ジョーリィはおそらく、フェリチータの失った記憶を取り戻そうとしている。だからモンドと共にここへ来た。
(ジョーリィにだって、そんなことができるわけがない)
可能性についてはルカだって何度も何度も考えた。今まで得た知識を総動員しても、今まで触れたことのない書物を必死に読み漁っても、方法はみつからなかった。
自分よりもジョーリィの方が知識も経験も勝っている。それは認める。
だがジョーリィにだって『絶対』はない。あり得ない。
そんなものがあるのだとしたら、今フェリチータがこうして記憶を奪われ、人形のように横たわっているはずがないのだ。
「お嬢様は今でさえ、辛い状態に置かれているのに……」
ルカはきつく拳を握り締めた。指先に、まだ乾くことのないフェリチータの涙が滲んでいる。
「これ以上、ひどい目にあわせたくありません! お願いします、やめてください!」
あんなふうに泣くフェリチータを見たくない。泣かせたくない。余計な刺激を与えることでフェリチータがどう変わってしまうのか、確実な保証がない限り、ルカはジョーリィの勝手を許す気になどなれなかった。
悲痛な声で訴えるルカの背中から、今度は肩へと掌を移し、モンドがそっとそれを叩く。
「ルカ、娘を案ずるお前の気持ち……親として、嬉しく思う」
「……パーパ……」
「だが、こんな状態で、娘は生きていると言えるのか?」
気づくと、フェリチータが瞼を開いていた。言い争いが耳に入り、眠りを妨げてしまったのかもしれない。
「こんな姿のまま、ただ命だけ永らえればいいと、お前は本当に思っているのか?」
何度も自分に言い聞かせてきたルカの欺瞞を暴くように、モンドが静かな声で問う。
「それは……そんなことは……」
生きてさえいればいい。そう繰り返し考えていた。
(けれど——やっぱり、今のお嬢様は、私の知るお嬢様ではない……)
「誰にとっても、それは本意ではないはずだ」
フェリチータは館の者、街の者、多くの人間に愛されていた。
それはただレガーロを守るアルカナ・ファミリアのパーパの娘だからという理由だけではない。
彼女自身の心や行動が、周りの人々に伝わっていたからだ。
彼女に好意を寄せる誰もが、フェリチータの立場など関係なく、彼女自身の心を大切に想っている。
「俺たちは、この可能性に賭ける。わかってくれ、ルカ……」
「……」
ルカはフェリチータをみつめ、モンドに視線を移してから、背後を振り返った。
いつものように葉巻を燻らせているジョーリィと、サングラス越しに目が合う。
(——まさか)
信じがたい思いで、ルカは言葉にできない疑問を心に浮かべる。
(まさか、ジョーリィも?)
無表情でただ自分を見ているジョーリィの姿から、ルカにはその内心を読み取ることはできなかった。
「始めよう、ジョーリィ」
モンドが呼び掛けると、ジョーリィが無言で頷いた。
「ルカ、下がっていろ」
モンドに言われるまま、ルカは無意識に数歩後退った。
今までルカのいた場所にジョーリィが歩み寄る。
モンドの隣。フェリチータのすぐそば。
「……お嬢様……」
祈るような気持ちで、ルカはモンドとジョーリィの後ろからフェリチータをみつめた。
モンドが、今度はジョーリィの背に掌を触れる。
その掌が淡く輝いていることにルカは気づいた。
(アルカナ能力——)
モンドが、自身のアルカナ能力を使い、ジョーリィに力を分け与えている。ジョーリィの力が引き上げられていくのが、ルカにもわかる。
ベッドに横たわったままのフェリチータが、少し視線を彷徨わせたあとに、ジョーリィにその目を向けた。
記憶を失ってからも、フェリチータはジョーリィにだけは反応する。
今も、同じように。
「すべてを呼び起こせ」
フェリチータに囁きかけながら、ジョーリィが自分のサングラスに指をかけた。
直接フェリチータの目を覗き込もうとしている。それに気づいてルカは声を上げそうになった。ジョーリィの、ラ・ルーナの力。もっとも辛い、残酷な記憶を、瞳を見た者から引き摺り出す能力。
「ジョ——」
何をするのかと叫びかけてから、ルカはジョーリィの横顔を見てその言葉を失う。
ジョーリィは力に満ちた、真剣な眼差しで、フェリチータのことだけをみつめていた。
触れてはならないと、咄嗟に判断する。ジョーリィの邪魔をしてはいけない。
(傷つけようとしているわけではない)
なぜかそのことが、ルカにははっきりとわかった。ジョーリィは、フェリチータにひどい仕打ちをするつもりで、この部屋に訪れたわけではない。
じっと自分をみつめるフェリチータの瞳を見返すジョーリィの唇が、小さく動く。
「——こんな思い出たちが、今の君を作ったのか」
再び、ルカは絶句した。
ジョーリィがそんなふうに優しく誰かに囁きかけるのを、初めて目の当たりにした。
(本文P87〜97より抜粋)