アルティマ ブラッド 緋色のフォークロア【ミニドラマCD付き初回限定版】
帰り道。
広場にはパレードが繰り出し、大勢の人だかりができていた。
ヴィクトリア通りの菓子店では店先のワゴンに山積みされたイースターエッグが、ショーウィンドーにはうさぎをモチーフにしたチョコレートが可愛くディスプレイされて並んでいる。
さりげなく横目で見ながら前を通り過ぎたとき、ガラスに見知った男の姿が映った。
はっとなり振り向くと、イタリアンブランドのスーツを完璧に着こなした金髪の男が艶然と微笑んでくる。
「ジョセフィ!」
「やあ」
「びっくりしたよ。いきなりガラスに映るんだもん」
「きみがおれに気付いてくれないから、しばらくあとについて歩いていたんだ」
ファッション誌から抜け出たように洗練された美貌の男、ジョセフィ・エイドリアン。
知り合ってふた月半とまだ日は浅いが、彼はアクアにとって少しだけ特別な存在だった。
「全然わからなかった。どのあたりから?」
眼を瞠るアクアに、男は手品の種明かしをするように告げた。
「この通り沿いのヴィクトリアカフェだ。オープンテラスできみが来るのを待っていた」
「まじで? まさかおれがここを通るってわかってたわけじゃないんだろ?」
アクアはいたずらっぽくジョセフィを覗き込んだ。
「わかってたよ。ここはきみの通学路だからね」
「え……? じゃあ……」
「試合、観させてもらった」
「ほんとに!? どこにいたの? 声掛けてくれればよかったのに」
アクアにとってはひどく嬉しい不意打ちだった。
先週、復活祭の日に親善試合があると言ったのを彼は覚えていてくれたのだ。あのときは見に来てくれるような素振りはなかったが、もしかしたら都合をつけてくれたのかもしれない。
ジョセフィは仕事の都合でマンチェスターに来ていると言った。仕事の内容はわからないが、社会に貢献するなにかに携わっているらしい。
大学時代はサッカー部に所属していたという彼は、合間を縫ってはグラウンドにきてくれた。
休日返上で、サッカーの個人指導をしてもらったこともある。おかげでロングパスやヒールキックがすこぶる上達した。
「みんなに揉みくちゃにされてたのをね、遠くから眺めていた。ハットトリック、きれいに決まってたな」
「ありがとう。初めてだったんだ。チームメイトも喜んでくれて、すごく嬉しかった」
「おれからもお祝いさせてくれ」
「い、いいよ。そんな大袈裟なもんじゃないし……」
ジョセフィからの祝辞はアクアを気恥ずかしくさせた。それは彼がアクアよりもずっと俊敏にサッカーボールを追いかけると知っているからだ。
初めての出会いは放課後のグラウンドだった。その鮮烈な印象は、微塵も薄らぐことなく胸の中に焼き付いている。
「遠慮はなしだぞ。今日はきみの誕生日でもあるのだから」
「覚えててくれたんだ」
「もちろん」
彼に誕生日を尋ねられたのは、出会って間もない頃だった。
あのときは、何故か彼がアクアの年齢を気にしているように感じられた。おそらくなんらかのわけがあって生年月日を確認してきたのだと。
どうしてそんなふうに思ったのか、今となってはアクア自身にもよくわからないが、いずれは納得できる答えが得られるに違いない。
「このあとの予定は? 時間に余裕があれば少し遠出もできるが……」
「……ごめん。実は三時までに家に戻らなきゃならないんだ……。家族が………待ってるから」
断りたくないが、家族との約束も反故にはできない。アクアは喉を詰まらせながら、謝罪の言葉を口にした。
「三時か……。だったら立ち話をしている時間もないな」
男には今の正確な時間がわかっているのか、時計も見ずに呟いた。
「ごめんね……。おれもジョセフィと一緒にいたいんだけど……」
「いいんだ。おれの方こそいきなり誘ってすまなかったな。…………きみを驚かせるつもりだったんだが、かえって困らせてしまったようだ」
男は“せっかくだから途中まで送るよ”と、立ち止まったままのアクアの背を優しく押した。
「そうだ! よかったらうちにこない?」
「えっ?」
少年の提案に男はひどく意外そうな顔をした。
「父さんもきっと喜ぶよ。ね、いいでしょ?」
アクアは無邪気に男の腕を引っ張った。
「遠慮するよ。家族水入らずの席にお邪魔するほど野暮じゃない」
男は苦笑いで右手を左右に振る。
「それなら大丈夫。姉さんも恋人を連れてくるし、テーブルは賑やかな方が楽しいよ」
「だが、いきなりどこの誰かもわからない男が現れたら、ご家族が慌ててしまうだろう」
「平気だってば。ジョセフィのことは後輩思いのOBだって紹介するから。父さんもね、クラインズバリー出身なんだ。きっと歓迎してくれる」
あえて“後輩思い”と付けたのは、彼のように傲りのない卒業生との出会いがアクアにとって初めてだったからだ。
OBにはエリートが多く、だからなのか自分の能力を鼻に掛け、在校生をいびる連中ばかりが揃っていた。
あるときは子供扱いし、あるときは小間使いのように命令してくる。
学園祭で顔を合わせるときも段取りが悪いとか、これだから最近の学生は……などと、上から眼線で嫌味を吐きまくる始末だ。
けれどもジョセフィは違う。誰よりも優れているのに謙虚で優しい。
アクアは六つも年下だが、決して見下さずいつも対等な友人として接してくれる。
だからアクアも自然体でいることができ、またわからないことはわからないと素直に言えた。彼はどんなにくだらないと思えることでも丁寧に答えてくれる。
そうしたひとつひとつが、今では友人というよりも頼りがいのある兄のような存在になっていた。
だが、教えてもらうばかりでなにも返せないのはもどかしい。そう告白すれば、驚くべきことに彼は「だったら携帯電話の使い方を教えてくれ」と照れくさそうに頼んできたのだ。
欠点が見出せないほど、なにもかもが整った完璧な男が何故携帯電話の操作方法を? とアクアは己の耳を疑うほど仰天した。
「機能的なツールだから使いこなしたいが馴染めなくてね。おれの周りは携帯電話の苦手なやつばかりで教わることもできない」
ジョセフィは、みんな年寄りだから時代の進歩についていけないんだ……、と笑っていた。みんなという括りの中に、まるで自分も入っているような口振りだった。
不思議な感じがしたが、なにより彼の役に立てることが嬉しく、アクアは買ったばかりのスマートフォンをポケットから取り出し、「どこから始めたらいい?」と聞いた。
あれからひと月が過ぎた。彼に教えるべきことはもうなにも残っていない。
「やはり今日はやめておくよ。ありがとうアクア。誘ってくれて」
「残念だなあ……」
あまりしつこくもできず、アクアは引き下がるしかなかった。
「それより………」
ジョセフィはスーツの内ポケットから長方形の箱を取り出し、少年の手に握らせる。
「誕生日おめでとう。これはおれからのプレゼントだ」
「え…………?」
受け取った黒箱には赤いリボンがかかっており、長さ十センチほどの薄手なサイズのわりには重みがあった。
「……ありがとう、ジョセフィ」
アクアは丁寧に謝意を告げた。
「中にはブレスレット型のお守りが入っている」
「ブレスレット……型の………お守り?」
思わず復唱していた。形状をまったく想像できないまま箱を裏返したり軽く振ったりすれば、どんどん関心が募っていく。
「ただし、ちょっとコツがいる。その扱い方を教えるために時間が必要だったんだが、メールでも大丈夫かな」
「明日教えてよ」
「ん?」
「明日ならたっぷり時間取れるよ。明日が無理なら明後日でもいいけど?」
アクアの双眸は好奇心でキラキラしていた。どんなお守りなのか、どんなコツがいるのか早く知りたくてうずうずしているのだ。
「わかった。明日会おう。昼過ぎにヴィクトリアカフェで待ってる」
ジョセフィは少年の望みを受け入れ、微笑んだ。
「それまで開けないほうがいい?」
「いや、かまわないよ」
「じゃあ身につけて行ってもいいかな?」
アクアはやんちゃな子供みたいに、真横から男の顔を覗き込んだ。
「ああ。そのほうがおれも嬉しい」
「やったー! 明日が楽しみだ」
アクアは宝物を扱うように、パーカーのポケットに箱をしまい込む。
ほどなくして差し掛かったT字路で、「じゃあ明日……」と告げたジョセフィは、少年の頰に軽くキスをした。
アクアは去ってゆく男に手を振り、後ろ姿を見送る。
それから角を曲がり、足早に家路を急ぐ。
三時まで、あと十分もない———————。
(本文P28~37より抜粋)