AMNESIA
〜怜悧なクローバー・ダイヤの慈愛〜
著者 | 狩田眞夜 原作・監修/オトメイト/TVアニメ「AMNESIA」製作委員会 |
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イラスト | 花邑まい |
ISBN | 978-4-86134-646-0 |
価格 | 本体価格571円+税 |
発売日 | 2013年8月31日(土)頃 |
運命に導かれた私が辿りつく先にある真実とは——!?
失くした記憶を探し求めて、ようやく手がかりを掴めたと思ったそのとき、私は別の世界に飛ばされていて……。そこは、同じようでいて何かが違う世界。移動した世界で、幼馴染みのシンのひたむきな思いや、見つめるだけで女性を虜にするイッキさんの秘密と彼の孤独を知った私だけど、事故をきっかけに再び別世界へと移動して——!?
表紙イラストはゲーム原画を担当された花邑まい先生の描き下ろし!
AMNESIA 〜怜悧なクローバー・ダイヤの慈愛〜
『あ、目が覚めた?』
目覚めると同時に、オリオンの声が聞こえた。
どういうわけなのか、私は自室のベッドで寝ている状態だった。ついさっき、信濃の山荘近くの崖から転落したのは夢だったの……?
その疑問を口にする前に、オリオンが神妙な顔つきで答えてくれる。
『……やっぱり、キミはパラレルワールドを移動しているのかも。時計の日付を見て』
オリオンが指さしたデジタル時計を見る。
表示されている日付は、八月一日——
「また、八月一日に戻ってる……」
『うん……、この日付にも、何か意味があるのかもしれないね』
パラレルワールドを移動するたびに、日付はいつも八月一日になっている。一体、これは何を意味してるんだろう……。
『これで三度目か……、やっぱり混乱するよね。ボクがついていながら、何もできなくてごめん……』
申し訳なさそうなオリオンに、私は笑って首を横に振った。
この少年の姿をした精霊オリオンとの出逢いにはじまり、私は不思議なことを経験してきた。気がつけば記憶喪失になっていて、今も自分自身が何者であるのかすら思い出せずにいる。
私の記憶が失われたのは、私の精神体とオリオンが衝突したことが原因らしい。オリオンが私の心に入ってしまったせいで、記憶が押し出されたのだという。
だから、失くした記憶が元に戻れば、今度はきっとオリオンのほうが押し出される。
私は自分自身を取り戻して、心の中からオリオンを解放しなければいけない。そのために私は、周囲の人たちとの交流から自分に関する手がかりを集めて、自分がどんなふうに生きていたのかを探り始めた。
だけど、肝心の記憶に辿り着く前に、さっきオリオンが言ったように、私はパラレルワールドを移動してしまうらしかった。理由はわからないけど、そのきっかけになるのはいつも、どこかから転落したり、殺されそうになったりという、死を覚悟するような出来事だった。
並行して存在する別世界——パラレルワールドは無数にあって、それぞれが少しずつ違っているという。
本来、普通の人間はパラレルワールドを移動することはできないらしい。だから何故こんなことになっているのか、オリオンにもわからないと言う。
私は自分自身に関する記憶をまだ取り戻せていない。だから、今いる世界が本当に私の存在していた世界なのかどうかすら判断できない。
次々に起こる現実離れした出来事に抗う術を持たない私は、それを受け入れるしかないけど、死が間近に迫るような体験は、思い出すだけでも恐ろしい。
そんな中で、こうしてオリオンがそばにいてくれることで私はどんなに救われていることか。不思議な体験を誰にも相談できず、あの恐怖を一人で受け止めなければならないとしたら、私はとっくに壊れていたかもしれない。
『それで……、見たところ部屋にも変わりはないし、一人暮らしの大学生っていうキミに関する情報も、これまでの世界とたぶん同じだと思うんだ。ただ、キミを取り巻く人間関係についてはなんとも言えない』
早速、状況の把握を始めたオリオンの声に現実に引き戻された。
『とりあえず、机の上に携帯があるんだけど……』
オリオンが視線で示した携帯電話を手に取って見る。
携帯に表示されている日付もやはり八月一日だった。
『えっと、それじゃあ……いつものように、まずはアドレス帳を見てみよう。……って、登録件数一二五○件!? まさかの四桁!? ……あ、歯医者とか学校の番号なんかもたくさん入ってる。いや、それにしたってこの件数はないでしょ。キミ……、こまめに登録しすぎ』
そう言われても、今の私にはまったく身に覚えはないけど……。
『さすがにこのアドレス帳全部チェックするのは大変だよね……というわけで次っ! メール履歴!』
張り切って指示を出したオリオンだけど、履歴を見てガッカリした表情になる。
『受信メール総数、五件? 一二五○件もの連絡先を登録しておきながら、受信メールはたった五件?』
責められているような気になったけど、私に言われても……。
『一番古いメールが三日前……。わかった。キミさ、携帯買い換えたばっかりだったんだよ。ホラ、よく見てみたらこの携帯、見るからに新品だよね。で、三日前に買い換えてから今までに届いたメールが五件ってわけだ。うん、それなら納得。それじゃ、この五件のメール内容を……』
その五件はすべて同じ人からのメールだった。そしてその送り主の名前は、私にも見覚えのあるもので……。
「ケントさん……からのメールみたい」
『ケントさん……って、もしかしてあの堅物のケントのこと?』
オリオンも思い出したらしい。たぶん、西池大学の院生で数学を研究しているケントさんだ。バイト仲間だったこともあるけど、これまでケントさんと親しかったことはあまりないと思う。
送られたメールを読んでみた。一番古い三日前の夜が[おやすみ]と一言だけ。
『……シンプルだね』
二番目のメールは[おはよう]。
『……うん、とてもシンプルだ』
それから[おやすみ][おはよう][おやすみ]と、五件のメール内容はそれだけだ。
『おおおおい! 毎日同じ内容じゃん! しかもほぼ同じ時間! ケントのやつ、何がしたいの?』
私にもよくわからない。だけど、こんなに頻繁にメールを送ってくれるということは、この世界の私とケントさんは 親しい間柄なんだろうか。
『メールの内容は一言だけではあるけど、毎朝毎晩の挨拶を送ってくるっていうことは……、この世界において、キミとケントは付き合ってるのかな』
「まさか……」
いくらなんでも飛躍しすぎじゃ……。でも、オリオンの考えも否定できない。
『じゃなかったら、こんなメール連続で送ってくるなんて、ウザすぎて着信拒否モノだよ 。……あ、噂をすればだよ』
オリオンが話している途中でメールの受信音が鳴った。またケントさんからだ。
『ハイハイ、順番からすると[おはよう]かな』と茶化すオリオンと並んで、メールを開く。
[冥土の羊にいる。話し合おう。来るまで待っている]
予想に反したメールの内容に、オリオンが深刻そうに目を細めた。
『うーん……もし、キミとケントが付き合ってるっていうボクの推測が当たってるとしたら……、これってもしかして別れ話? 彼氏の愛想のなさにキミがキレちゃったとかありそうじゃない? だってさ、ホラ見てよ、送信メールのほう! キミからは一度も返信してない!』
言われてみれば確かに、こちらからの送信メールは一件もない。もしもケントさんが恋人なら、それは少し不自然なことかもしれない。
『でもさ、ケントがキミの彼氏だとして、彼氏との喧嘩って大抵ものすごくくだらない理由だよね。たとえばこの無愛想すぎるメールが原因で喧嘩したとかだったら、別になんの問題もないわけだ。もし真剣に交際中なんだとしたら、記憶喪失の相談相手になってくれる可能性はとっても高いよね? ケントなら頭もよさそうだし、そう考えると今の状況って結構ラッキー? ……って、キミは複雑だよね……、急にケントが彼氏とか言われても……』
「うん……」
だけど、今の状況ではケントさんにしか記憶の手がかりは望めそうにない。もしも私とケントさんが付き合っていたのなら、話を聞いてみたいし……。
『キミがそう思うのなら行ってみよう。……よし! それじゃあさっそく、「冥土の羊」に乗り込もう!』
意気揚々と声を上げたオリオンは、ハッと気づいたように付け加えた。
『……って、ここでもやっぱり「冥土の羊」なんだね』
『冥土の羊』というのは、スタッフがメイドや執事の格好で給仕をするコンセプトカフェの店名だ。これまで、私はいつもこの店でバイトをしていた。
通い慣れた道を歩いて駅の近くにある繁華街に入ると、見慣れたローマ字の看板が目に入る。とあるビルの地下へと続く、煉瓦風のタイルが張られた階段を下りて、私は『冥土の羊』へと足を踏み入れた。
風変わりな店名に反して、落ち着いた店内の雰囲気。どこかレトロな印象の装飾も、私が知っている『冥土の羊』と何ひとつ変わっていない。
私を見つけた店長のワカさんが「……君か」と一言呟いた。それから、店にはウェイター姿のトーマもいる。ここでバイトをしているらしい。
「ずいぶん待ってたよ」
そう声をかけてきたトーマが目配せで示した先には、ケントさんが座っている。
そっと向かいの席に着くと、ケントさんはトーマに向かって私のためにカフェオレを注文してくれた。
「……で? なんだと言うんだ、一体」
ケントさんはそう言ったきり、厳めしい顔をしたまま黙り込む。何か問われているみたいだけど、私にわかるはずもない。それ以外にも知りたいことはたくさんあるのに、怒っているようなケントさんの態度に、気後れした私は何も言えなかった。
『呼び出したくせに、なんで黙ってるの? ケントってデカイし、こうして向かい合ってると威圧感があって怖いんだけど……』
オリオンが不平を漏らした頃、ようやくケントさんが口を開いた。
「私は女性との交際について私なりに調べた上で行動している。その上で足りない部分があるなら善処しよう。だがまずは、不満を言ってもらわねば始まらない。文句があるなら、いつものように立て板に水でまくしたてればいいだろう。そうすれば、私のほうもいつもどおり論破させてもらうだけだ。黙っていては何が不満なのかわからない」
文句……? 私とケントさんは喧嘩でもしていたんだろうか。
「ああ、議論に負けるのが怖くて黙っているのか? ハハ、殊勝になったものだな。どうせ殊勝になるなら、たまには素直に謝るという芸でも見せてみたらどうだ。そうすれば万事解決だ。なにしろ私は別段怒っていない。怒る怒らないなどという段階ですらない。何故なら私には、いまだに何故喧嘩になっているのかさえわかっていないのだから」
『わかってないくせに、むちゃくちゃ喧嘩腰だね……』
私の隣で聞いていたオリオンが唸った。もちろん、彼の姿はケントさんにも他の誰にも見えていないし、声も聞こえない。
『あの意味のないメールがウザいとか、いちいち上から目線がムカつくとか、無愛想で怖いとかデカくて怖いとか、キミが抱いていたらしい不満は、想像するしかできないんだよね。……向こうもわからないなら、いっそ謝って喧嘩を終わらせちゃうって手もアリ?』
「本当に、何が不満なんだ……。言えない理由でもあるのか? なら何をしにここへ来たんだ。昨日はあれだけ怒っていただろう。いい加減、黙り込むのをやめろ。不満があるならに端的に言え」
「……昨日はごめんなさい」
オリオンのアドバイスどおり、私はケントさんに謝ってみた。何があったのかわからないから言い返すことはできないし、いつまでもこんなふうに険悪な時間を過ごしたくはなかったから。
すると、ケントさんはとても驚いた様子で目を見開いた。
「なっ……君……!? どういうつもりだ……!? 何故謝る……何があったんだ! なんの理由もなく突如謝る気になったなどとは言わせないぞ。そんなことは起こりえない!」
『……あのさあ。謝っただけでそこまで驚かれるって、これまでキミは一体どんな態度してたんだろう?』
オリオンだけでなく、ケントさんの反応には私のほうも戸惑うばかりだ。この人と私が恋人同士だとしたら、どんなふうに付き合っていたんだろう。
「どうしたんだ。まさか脳に障害でも起こしたんじゃないだろうな」
『え? 何!? ちょっとヤバいくらい疑われてる?』
「まさか、君から謝るとは……。世界には、割り切れない謎がまだ山と残っているな」
『謝っただけで世界の謎とまで言う?』
狼狽えていたケントさんは、それでもしばらくすると落ち着いた表情になって眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……その、なんだ、私も悪かったな。君の不満がわからないことで、ついつい大人げない物言いをした。すまなかった……」
声にも刺々しさがなくなって、そんなふうに謝ってくれる。結局、喧嘩の原因はわからないけど、とりあえずは丸く収まったらしい。
でも、ケントさんは今の私が以前とは違うことに気がついたようだ。じっと私を見つめて「今日の君は本当におかしい」と独り言のように呟いた。
『ふう……なんとかこの場はしのいだみたいだね。しのいだって言うか、黙ってたらケントが勝手にいいように解釈してくれたんだけどさ……。ま、ケント自身キミが怒っている理由をわかってなかったとこを見ると、深刻な問題じゃなかったんでしょ。浮気してたとか借金してたとか暴力振るったとかその他大問題があったなら、当然本人もわかってるはずだし』
オリオンが暢気そうな口調で言う。本当にそうならいいけれど。
「ここの勘定は私が持とう」
立ち上がったケントさんは、ふと何か思いついた顔で私に目を向けた。
「いや、君は計算が苦手だったな。少し日常生活を利用して鍛えたほうがいいと常々思っていたんだ。では、君がすぐに会計金額を暗算できたら、会計は私が払おう。できなければ公平に半額ずつだ」
『え? なんでいきなりそんな話に!? 記憶喪失だけで手一杯の人間に殺生な!』
戸惑う私には構わずに、ケントさんは淡々と問題を出題する。
「私の頼んだブレンドは六七○円。君に出してもらったカフェオレは七八○円だ。さて、合計は?」
「……一四五○円」
頭の中で計算してケントさんの表情を窺う。ちょっと自信がなかったけど、その顔が急にほころんだ。
「正解だ。さすがにこれは簡単すぎたか。すまないな。自分の教え子は、つい試したくなってしまう。約束どおり、ここの勘定は私が持とう」
ケントさんが会計を払う間、オリオンが新たな疑問を口にした。
『……教え子って何? さっきの会話からしてキミとケントが付き合ってるのは間違いないと思うんだけど、 もしかして教師と生徒の禁断ラブなの? ……って悩んでる間に出ていっちゃったし! 追いかけよう!』
オリオンに急かされて店を出ると、私を待っていたケントさんは振り返って「少し歩くか」と言った。
『それより教え子の件を……って、コイツ歩くの速っ! これ競歩!? ねえ、置いてかれちゃうよ!?』
本当に速い。ケントさんは私を振り返ることもなくどんどん歩いていく。歩幅も全然違うし、私はついて行くだけで精一杯だった。
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シリーズ第2弾「AMNESIA〜怜悧なクローバー・ダイヤの慈愛」では
ケントとトーマのストーリーが展開!!