セイント・ビースト 天空の失楽園〜One Heaven〜
天上に朝が訪れる。
陽光の清新な煌めきが眩しく大神殿を照らし、いつもと変わらぬ一日が始まった。
親衛隊諸氏が、神官が、各々持ち場に就き、その他の天使たちは上位、中位、下位の位階に分かれて命じられた用向きを実行する。
いっぽう四聖獣は大神の後ろを守るのが定めであり、ほかに実働すべきことはない。
大神の勅命が下らぬ限りは、自由の身である。
四人はそれに甘んじている振りで、神殿内をうろついたりときに外出したりと好き放題をしていた。
本心では天の復旧に尽力したい。だが四聖獣は天界中の天使たちの非難の対象であり、かつ迂闊な行動はゼウスや聖者の不信を募らせるばかりとなる。到底実行に移せる状況ではなかった。
今の四聖獣にできることは、せめて絶命したものを偲んで祈ることだけであった。
陽射しの届かぬ、薄暗い空間にひとりの天使――青龍のゴウがいた。
身じろぎひとつせず瞼を閉じたまま、ゴウは隠れ家の中で同志たちの訪れを待つ。
意識下に甦るのは昨日の、意想外な出来事である。
昨日夜半。
四聖獣は、突然聖者の自室へと呼びつけられたのだ―――――。
「聖者殿! こんな時間にどうされたのです」
扉が開くやいなや、ゴウは詰め寄った。
公用なら命は日中に下される。なのに深夜というのは、緊急事態かあるいは極秘の用向きか。周囲の者を欺いていることもあり、四人は緊張を強くする。
とうに本当の自分を取り戻していながら、今もなお獣神具の魔に囚われた振りをしているからだ。
慎重に動いているつもりだが、愛憎が真逆になるという芝居はひどく難しい。
才智に長けた聖者がもしも僅かな隙を突いてきたらどう対処すべきか。いくつかの受け答えを誰もが胸の内に準備していた。
「すまなかったな、四聖獣よ。さあ、中へ……」
聖者はいつもどおりの柔和な面差しで天使たちを迎え入れた。
「聖者殿のお呼び立てとあっては、たとえ真夜中であっても馳せ参じないわけには参りません。御用向きをお伺いしとう存じます」
偽りの信頼を本心めかし、シンは低姿勢で告げる。聖者は無言で頷き、全員を部屋の奥へと導いた。
そこには重厚な宝箱がふたつ並んで置かれており、四聖獣は奇妙な胸騒ぎを覚えた。
「実は、対の獣神具すべてを返戻してもらいたいのだ」
「何故です!」
ゴウは間髪を入れず疑念をぶつけた。
「急ですね」
「なにかあったんですか?」
レイやガイも困惑していた。
「神殿へ呼んでいただいた日、獣神具の話をしましたよね。対で持つことによってゼウスさまにもこれまで以上に貢献できるという話です。あれからまだほんの数日しかたっていないというのに、なぜ取り上げようとなさるのです?」
シンは理路整然と切り返した。
獣神具を手放すことにこだわっているのではない。誰もが急な変化に心中穏やかではないのである。
こちらの意図が気付かれてしまったのだろうかという不安が、しかし聖者には獣神具の返戻に難色を示しているような印象を与えていた。
「すでにおまえたちの一部となっている獣神具だ。手放したくないのもわかるが、これはゼウスさまのご意志なのだ」
「しかし、我々はゼウスさまから獣神具をいただいたのですよ」
「わかっている。聖なる頂で大神直々に授けられたのだったな。だが、天界はふたたび楽園に戻った。獣神具はもう必要がないとゼウスさまはおっしゃられている」
「聖者殿も同意見ですか?」
ゴウはじっと聖者を見つめた。
「そうだ。確かに獣神具はおまえたちの能力をより強めるだろう。だが、平安を取り戻した今、もう力は必要ない。これより必要なのはおまえたちの心だ。ゼウスさまへ忠誠を誓う、その心こそが大切だと私は思っている」
いつにも増して説得力のある物言いに四聖獣は黙るしかなかった。
聖者の本心はわからないが、これ以上反論したところで状況は変わらないだろう。
もとより大神を倒すため、大神から与えられた武器に頼るというのは好ましくなかった。ある意味いい機会と言えるのかもしれない。
「わかりました。お返しします」
ゴウは身体の一部となった対の獣神具を、潔く体外へ念じ出した。
光と闇の対の剣が、ゴウの手に握られる。
「あんなに獣神具が気に入っていたのに、すんなりと外すなんて。こんなところで点数稼ぎですか?」
「そりゃ…ね。ゴウはいつも要領がいいもんな」
鼻で笑うレイの脇でガイが悪態を吐く。芝居の合図は今宵、レイからであった。
「なんだと」
ゴウは眉根を寄せ、青龍剣をきらりと光らせる。
「やる気か? 昨日の続きなら大歓迎だぜ」
ガイは一触即発の気配を漂わせ、間合いをとった。それをみたシンとレイも身構える。
「聖者さまの前だからちょうどいいです。誰が正しいか見ていただきましょう」
「ぼくに決まってますけどね」
「どうでしょう。わたしからすればレイ、貴方も相当おめでたいですよ」
くく……、とシンは口角をあげる。
「よくもそんな!」
「やめないか。神官たちからも聞いているが、最近ひどく仲が悪いそうだな」
「昔からですよ、聖者殿」
「ガイ。いいから拳を下げなさい」
食ってかかろうとするガイの肩を押さえ込んだ聖者は、ゴウ、シン、レイを瞳で圧した。
「ゴウもだ。早く剣をこの箱の中へ収めるのだ」
聖者は宝箱の蓋を開け、属性別に分けてしまうよう指示をした。
「すみませんでした。受け流せばよかったのですが、つい相手にしてしまいました。見苦しいところをお見せしてしまい失礼しました」
ゴウは真摯に跪き、箱の中へ青龍剣を収めた。
「馴染んできたところなので手放すのは残念ですが、仕方ないですね。実際、平和な世界に武具はいらないですし……」
シンも玄武の盾を出し、聖獣剣の上にそっと重ねる。レイとガイも名残惜しそうな振りで獣神具を身体から離別させ、箱にしまった。
「この箱は宝物殿の最奥にて大切に保管されることになる。ふたたびゼウスさまより命を賜ればおまえたちにも授けることになろうが、とにかく今はうち解け合うのが先だ。そんなふうではゼウスさまの後ろは守れないぞ」
「公務中はちゃんと協力し合っていますので、ご心配には及びません」
シンは平然と取り繕った。
「もちろんです。けじめはきちんと付いていますから。それに……、こう言ってはなんですが、ぼくたちよりも神官たちのほうが仲は悪そうですよ」
「ああ。いえてる。神殿に住まうようになって初めて知った」
さりげなく話題を変えたレイとガイは、聖者の反応を窺っている。大神殿の塀の中の出来事は外側からはわからない。
四聖獣も内側に入って初めて知ったことがいくつもあった。神官たちの確執もそのひとつだ。
彼等は皆仲がよく安穏として、ひたすらゼウスに傅いていると思っていたが、そうではなかった。
パンドラとカサンドラの対立を始めとする神官同士の不和は意外に根深いようで、そのあたりの情報が聖者から得られないかという期待も含んでいた。
「神官たちについては私もあまりよくは存知えぬのだ。なにせ地下御陵で休眠していた間に制定されたことだからな」
「そうでしたね。聖者殿なら知らぬことはないと思っていました」
「そんなことはない。私もおまえたちから学ぶべきことがある。我々はもっと近しくなり、互いの未熟な部分を補おうではないか」
聖者は低姿勢でゴウの両手を握り締めた―――――。
(本文P37~44より抜粋)