セイント・ビースト 錯綜〜HORIZON〜
「楽しんでおるか?」
さきほどまでゴウとガイの付近にいたゼウスが、今度はこちらにやってきた。
「ご招待ありがとうございます。あまりに豪勢な宴なので、かえって恐縮しています」
レイは行儀よく一礼する。ゼウスを前に緊張しているようであった。
「どうしてこのような席を設けられたのですか? あまりに突然で驚きました」
ルカは広間全体をゆっくりと見渡した。
「前々から考えておったのだ。こうして皆と席を同じくしたいとな」
「わたしたち六聖獣と……、ですか?」
含んだようなルカの物言いに、隣でレイがおどおどしている。だが、大神は顔色ひとつ変えずに「そうだ」と道破した。
「天使の頂に立つものと親睦を深め合うのはよいことだ。離れていてはいらぬ誤解も生まれようからな。私が願っているものはこの世の平安に他ならない。わかっておろうな」
「はい……。わかっております」
正反対の意識が心を独占していると悟られぬよう、ルカは神妙に頭を垂れた。レイも申し合わせたように俯く。
「今宵はせいぜい楽しむがよい」
ゼウスは高笑いでルカとレイのもとを離れていった。
宴も酣となった頃。大神はシンのもとへ足を向けた。
「どうだ? あの演奏は」
シンがハープの名手だというのを知っているのだろう。始まったばかりの弦楽器の独奏について尋ねてくる。
「素晴らしいです。こうした調べは気持ちを落ち着かせますし……」
さりげなく皮肉を籠めたシンだが、ゼウスの関心はすぐ近くで葡萄酒に口を付けている光の天使に注がれていた。
ゼウスの視線に気付いているのかいないのか、ユダはこちらを振り向きもせずに神官のひとりと話をしていた。
シンの鼓動が一気に速まっていく。とうとうこの瞬間が訪れた。大神とユダが対峙する瞬間が。
ゼウスの支配を嫌悪し、どのような命にも従わぬと心を決めたユダが今は大神殿にいて、たとえ僅かでも笑みを浮かべている。それを同志たちへの気遣いだと理解すれば、いっそ切なさが込み上げてやまない。
だがその微笑は、ゼウスを前にしても維持されるべきものなのか。ここ数ヶ月、ユダが無視をし続けてきた大神が、いよいよ接近する。
大神がユダの背後に立った———。
神官は慌ててユダから離れるが、シンは万一のときに備えてユダに近寄った。
「久しいな。麒麟のユダよ」
光の天使はおもむろに振り返り、大神へ向けて微笑んだ。だが、瞳が笑っていない。信念を裏付ける強い光を湛えている。
「ご無沙汰しております。ゼウス殿」
「よくぞ来た」
「六聖獣全員が呼ばれるとあっては、さすがに欠席もできません。貴方にしてやられました」
ゼウスを前に一歩も引かない。ユダの表裏のなさが、こんなときには仇となるかもしれない。横にいながらシンは胸が苦しくなった。
「相変わらず、生意気なやつめ」
「きっと生まれつきでしょう」
「減らず口ばかり叩きおって」
「それも生まれつきです」
両者の間には見えぬ火花が散っているかのごとく、シンには感じられた。
天使は神の命に従わねばならない。逆らうことは認められない。だがユダは反発し続ける。大神にしてみれば、煮え湯を飲まされたような心境ではないだろうか。その怒りを押し殺してここにいるのだとしたら……。その先は恐ろしすぎて考えたくない。
「ゼウスさま。新しいお飲み物を持って参りましょうか?」
たまらずにシンが割って入るが、ゼウスには聞こえないようだった。
「ユダよ……。どうやら私はおまえを甘やかしすぎたようだ」
とん、とグラスをテーブルに置いた大神は、ユダに一瞥をくれ去っていった。
「冷や冷やものでした」
大神の姿が見えなくなると、シンはほっと息をつく。
「やはりおれは憎まれているらしい」
「そうでしょうか」
「今頃は、おれを天使長になど据えずによかったとほっとしているんじゃないか?」
「わたしは逆だと思いました。かえって執着が深まったのではないかと……」
シンは不安に苛まれているようだった。それを取り越し苦労だと宥めているとパンドラがにこやかな面持ちで話しかけてくる。
「窓際の奥のテーブルにお茶の用意を致しました。先ほど摘んだばかりのミントがとても高貴な香りを漂わせています。いかがですか?」
指し示された場所に眼をやれば、すでにレイとルカがいてこちらに向かって手を振っていた。
「一緒に行こう」
ゴウはガイと連れ立ち、ふたりに顎をしゃくった。
「大神も下がったことだし、我々もお茶でしめようじゃないか」
「ああ。おれもそろそろ引き上げようかと考えていたところだ」
「賛成です」
終焉が近づいたという意識がシンの緊張を緩和したのか、表情が和らいだ。
「では、こちらへどうぞ……」
先導するパンドラのあとに続くと、ひとりの神官がユダのそばへ小走りでやって来る。
「あの……、先ほどはすみませんでした。ゼウスさまがいらっしゃったので、中座してしまいました」
ユダが背後にゼウスの気配を感じたのと同時に、場を離れていった神官だった。申し訳なさそうに背を丸めてユダに詫びてくる。
「いいさ。気にしてないよ」
「あの……、宜しければ続きを聞かせてもらえませんか?」
「そうだな。あそこで終わらせては中途半端だ」
ユダは快く頷くと、ゴウたちには後から行くと告げて気弱そうな神官に笑いかけた。
三人がユダから離れ———その途端。神官は泣きそうな顔をする。
「どうした? 悲しいオチではないぞ。むしろ明るい結末だ」
「は、はい……」
そのときだった。
天井から凄まじい速度で、壁が降りてきた。
ガシャ—————————ン、と烈しく床を打ち付けた分厚い壁は、広間をまっぷたつに遮断する。
「これはなんだ!」
驚いてあたりを見渡せばいつの間に全員が移動していたのか、こちら側の空間には自分と神官のたったふたりしか残っていない。
「ご、ごめんなさい……」
神官は声を震わせ、帳の中へ走って逃げ込んだ。
そうして一人きりになったユダの前に、大神が現れる————。
(本文p73~81より抜粋)